HOME > Shupo これまでの特集記事 > この夏 木曽のおんたけさんの祈りにふれる
四方に裾野を広げる雄大な御嶽山。長野県は木曽エリアのシンボルであるこの山は、山岳信仰の「御嶽信仰」でもご神体として崇敬の念を集めていました。
山頂の雪が解ける夏は、御嶽山の自然がきらめきを放つシーズン。まとう歴史や、登山時の見どころなども知ると、御嶽山はますます魅力的ものになるはずです。この夏、聖なる“木曽のおんたけさん”で、気持ちが清められゆくような旅を味わってみませんか?
長野県と岐阜県の境にそびえる活火山。国内の独立峰では
富士山に次ぐ高さを誇る山として知られています。
主峰は標高3,067mの剣ヶ峰(けんがみね)。
摩利支天(まりしてん)山や継母(ままはは)岳、
継子(ままこ)岳などのピークが連なり、
山頂部が南北方向に延びた、堂々とした姿をしています。
全国でも有数の山岳信仰の地であり、約1,300年前の開山以来
「御嶽信仰」のご神体としても厚い信仰を集めています。
今では誰もが登ることのできる御嶽山ですが、かつては麓で100日もの精進潔斎(魚鳥の食用を避け、男女同衾を慎み、仏道修行に励むこと)を経た者だけがわずか年1回の登拝を許されたという、いとも神聖な山でした。有名な山岳信仰「御嶽信仰」のふるさとであり、木曽の心のよりどころでもある霊山・御嶽山が多くの人に開放されたのはいつのことでしょう?そして、それは誰の心意気によるものだったのでしょう?
日本では、いにしえより豊穣の実りをもたらし、時には災いをもって襲いかかる自然を“神々の精霊が宿るもの”として崇めてきました。
自然崇拝の中でも「山」をご神体として敬うものを「山岳信仰」といいます。御嶽山への信仰は「御嶽信仰」の名で知られ、今も広く信じられています。
木曽の人々は御嶽山のことを「御山」(おやま)と呼び、裾野の里から仰いでは、憧れや畏れのまなざしを向けていました。
その慕わしい気持ちは、いつしか「人は御山(御嶽山)に生を受け、神によってそれぞれの家へ導かれ、死後の霊魂は童子となって再び御山へ還っていく」という考え方となり、次第に木曽の地へ根付いていったのです。
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御嶽山の開山は、御嶽神社の頂上奥社が創建された702年と同年を採る説が多いようです(ほかに諸説あり)。平安期には御嶽信仰は神道や仏教と結びついた「修験道」となり、「御山」は修験の地として栄えました。
すでに室町期には集団で登拝する風習がありましたが、この「集団」とは、厳しい修練を経た修験者たちを指すことがほとんど。年に1回の、75日間または100日間(修験者の格式により異なる)の精進潔斎(しょうじんけっさい/肉食や飲酒などを断つほか、滝行に代表される水垢離[みずごり]で心身を清めること)なしには登拝かなわぬ山となっていました。江戸初期には尾張藩(現・愛知県)の森林保護政策も加わり、庶民は立ち入り禁止に。「御山」はますます“閉ざされた山”となりました。
しかしながら、御嶽山が人々の心のよりどころとなる教えは、木曽の地に脈々と受け継がれています。中には霊山の力にあやかるべく、修験者に「金子(きんす)1両、扶持米3歩」で代参を頼む者もあったといいます。江戸中期だと、賃金としての1両は現代の30~40万円に相当したとか。
常に「御山」がそばにあるのに、すがることのできないもどかしさ。庶民の中に「自身で御山に登りたい」「御山の霊気に触れてご利益を得たい」と願う人が増えていったことは想像に難くありません。
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そのような折に現れたのが、尾張国(現・愛知県)出身の「覚明行者」(行者=修行僧)です。江戸中期の1766年、覚明行者は四国巡礼中、夢の中で白川大権現(しらかわだいごんげん)の「庶民のために木曽の御嶽山を開け」というお告げを受け、御嶽山へと向かいます。
木曽の黒沢村に入った覚明行者は、同地で加持祈祷(かじきとう/病気や災難をはらうために行う祈りや儀式)での心身の治癒、田畑の開墾指導、水路整備などを実施。民衆と心を通わせていきます。
登山道を開く準備も整った1782年、覚明行者は御嶽神社の神官に「庶民も御嶽山に登拝できるよう、精進潔斎を簡略化してほしい」と願い出ます。しかし、これを認めることは“規律破り”を許すこと。任を預かる神官としては「この数百年でも前例がない」「軽潔斎では神威を汚す」「尾張藩の留山(とめやま/民衆立ち入り禁止の山林)ゆえ」と、かわすほかはありません。
埒が明かないことを悟った覚明行者とその一行は、1785年、無許可・軽潔斎のままで御嶽山への登拝を成功させます。反対派の通報により追捕され、覚明行者は投獄されますが、21日後、民衆の嘆願により、ひとまず「おとがめなし」の裁きを得ます。
翌年、監視をかいくぐりつつ登山道の整備を開始。しかしながら途上で病にかかり、9合目にある二の池の畔にて入定しました。
軽潔斎の解禁を得ないままの絶命でしたが、覚明行者の遺志を継ぐ人々が整備を続行。1792年、ようやく軽潔斎での御嶽山登拝が認められました。この登山道が、現在の「黒沢口登山道」です。
75日間あるいは100日間の精進潔斎なしには入ることができなかった御嶽山。覚明行者が滝行などの軽潔斎でも登拝できるよう尽力したことで民衆にも開かれ、発展していった。現代でも御嶽教の信者が修行のために「清滝」などへ赴き、降り注ぐ激流に打たれ、身を清めている。
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御嶽山が庶民に開かれるようになったもう一人の功労者が、武蔵国(現・埼玉県)出身の「普寛行者」です。普寛行者はある者の失明を加持祈祷で救った際、現在の木曽郡王滝村出身者であったその者の話に暗示を受け、御嶽山の登山道を開くことを志します。
黒沢口からの庶民登拝が可能となった1792年、普寛行者は現在の「王滝口登山道」を開拓しました。この登山道が公認されたのは1799年のことです。
普寛行者の功績は、御嶽信仰を広める弟子を大勢育てたことも挙げられるでしょう。教えを受けた者たちは諸国に散らばり、信者を飛躍的に増やしていきました。
ある弟子は王滝口登山道の開道に協力してくれた王滝村の村人に、お礼として“霊薬百草”の製造法を伝えたそうです。この薬は、今も木曽の地で愛される胃腸薬「百草」のルーツといわれています。
キハダ内皮(オウバク)の抽出エキス「百草」は、修験者の常備薬だったとか。「100種の薬草を使ったほどの効果」「100の病を治す万能薬」との誉れも高く、木曽の人々に頼られ続けてきた。王滝村と木祖村には、今も百草の薬を作る製薬会社がある(工場見学可。詳細は木曽観光連盟(電話:0264-23-1122)に要問い合わせ)。
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庶民も御嶽山へ登拝できるようになると、「御嶽講」が次々と結成されていきました。「講」とは、同じ神仏を信じる者たちの団体のこと。その存在自体は以前から確認されており、伊勢神宮での参拝を目指す「伊勢講」や、富士山の登拝に向かう「富士講」が代表的です。
御嶽講の増え方は実に目覚ましく、信者の往来が増えるにつれて御嶽山の麓の村々も活気づいていきました。参詣者相手の旅籠・茶屋が軒を連ね、金剛杖(こんごうづえ)や浄衣(じょうえ)などを扱う店が大盛況。御嶽山の修験者が携行して木曽谷から全国に広まったとされる「そば」は、発祥の地域で味わったことが参詣者の土産話となり、『木曽の名物』として全国に知られていきました。案内をしつつ参詣者の荷物を運ぶ強力(ごうりき)といった雇用も生まれ、「御山」の登山道は多大な恩恵をもたらしていきました。
その恩恵は中山道の近隣地域にも及んだようで、木曽11宿で最大の宿場町・奈良井宿にも御嶽講信者が定宿とした旅籠があったそうです。
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いにしえより神仏の座(おわ)す御嶽山。慕う人々にとってこの山は、生を受ける前の人間を庇護下に置き、その者の今生(こんじょう)を日々見守り、その者が現世を離れた後はやさしく魂を迎え入れる、何物にも代えがたい存在です。登山道のあちこちに林立する「霊神碑」(れいじんひ/信者の魂が御嶽山へ還るための道標となる石碑)を見れば、どれだけ多くの人があふれんばかりの思いを抱えて念願の「御山」へ詣でに来たか、うかがい知れることでしょう。
もちろん、木曽の地で暮らす現代人も御嶽山を愛してやみません。「御山は心が還っていく場所」と称える人もいます。「ここには山岳信仰にとどまらない、強い“何か”がある」と胸を張る人もいます。
穢(けが)れを寄せ付けないかのごとく、どっしりとこの地に座する“木曽のおんたけさん”。山岳信仰の歴史を訪ねる旅でも、「御山」の霊気と一体化する癒やしの旅でも、その深いふところで、そっとあなたを包み込んでくれるはずです。
御嶽講の信者が、自身の死後の魂が先祖の待つ「御山」へ還れることを願って建てた石碑。この信仰独特のものといわれる。黒沢口・王滝口の両登山道を歩くと、2万基以上の「霊神碑」が群落的に出現。石面には「三十三回登山記念」など、登山の回数が書かれたものが多い。
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木曽エリアに特化したフリーペーパー「木曽人」(http://www.kiso-jin.com/)の制作・発刊を行う一般社団法人「木曽人」(きそじん)代表。地域を熟知する“達人”。御嶽山と木曽地域の文化など、さまざまな場面で「火山との共生を考えるきっかけ」を提供し、防災について考察・活動する団体「御嶽山火山マイスター」1期生。現在は同団体の副代表も務める。
遠くから眺めても美しい御嶽山ですが、登山道に踏み入れば、この山のさらなる魅力にお気づきになると思います。登山道を行き交う御嶽教の信者さんや霊神碑がまとう、山岳信仰独特の雰囲気。標高に従って変化していく、それぞれの登山口の多彩な植生。四ノ池のコマクサ群落(見ごろ:8月上旬~中旬)などは多くの高山植物ファンを引きつけています。心安らぐ豊かな時間を、ぜひ、この御嶽山でお過ごしください。
(JR中央本線 木曽福島駅から
タクシーで約60分)
普寛行者が開いた登山道です。起点は御嶽山7合目の「田の原」。標高2,180mは御嶽山登山口の起点でも最高地点なのですが、タクシー利用でも訪れることができます。ここからの標準的な登山時間は3時間くらいでしょうか。登山口から王滝頂上までを常に見上げながら登れる点も、このコースの特徴ですね。
※自治体(王滝村)の判断により、
登山道への立ち入り規制箇所あり
ココも見どころ @ 王滝口登山道
新滝(裏見滝)
3合目に位置。御嶽信仰の行者が登拝前に岩窟にこもり、心身を清めていた神聖な滝です。滝の裏側に回り込んだ場所からも流れ落ちる水を見られることから「裏見滝」とも呼ばれています。暗がりの中から日の光を受け、輝きながら降り注ぐ滝の様子は神秘的です。
立ち寄りスポット @ 王滝口周辺
自然湖
御嶽山の麓の王滝川が土砂によりせき止められてできた湖。立ち枯れの木曽ヒノキが湖面に林立、神秘的な雰囲気を漂わせます。湖では、静かな水面を漕ぎゆくカヌーツアー[(一社)木曽おんたけ観光局 松原スポーツ公園 電話:0264-48-2257 にて要予約]も開催されます。
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(JR中央本線 木曽福島駅
からタクシーで約50分)
御嶽山の登山道の中で一般へ最初に開かれたルート。現在は、御岳ロープウェイで7合目地点までアクセスできます。8合目の「女人堂」先、森林限界(高木が生育できない境界線の標高)を越えると眺望が開けます。剣ヶ峰頂上までの時間は3時間ほど。運が良ければ“神の鳥”ともいわれるライチョウと出会えるかも?
※自治体(木曽町)の判断により、
登山道への立ち入り規制箇所あり
ココも見どころ @ 黒沢口登山道
御岳ロープウェイ
御嶽山5合目の鹿ノ瀬駅から7合目の飯森高原駅までを結ぶゴンドラリフト。到着駅の展望台には、鏡に映り込む御嶽山と自分の記念写真を“自撮り”できる「ミラーデッキ」が。最近人気のスポットです。
立ち寄りスポット @ 黒沢口周辺
油木美林
4~7合目に位置。樹齢300年もの木々が息づく原生林。良材として名を馳せるヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキの「木曽五木」(きそごぼく)が茂り、学術参考林にも指定される、貴重な森林です。
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(JR中央本線 木曽福島駅
からタクシーで約60分)
もともとは営林署(現・森林管理署)の作業道として開かれました。剣ヶ峰頂上までの時間は約7時間40分。起点は4合目。距離的に長く、標高差もあって健脚向きですが、その分、大自然を満喫できます。登山開始後しばらく続く林内は、岩にまで苔がびっしり! さながら原生林の趣です。
※自治体(木曽町)の判断により、
登山道への立ち入り規制箇所あり
ココも見どころ @ 開田口登山道
三ノ池
9合目に位置。山頂域にある一ノ池から五ノ池までの火口湖でも、瑠璃色の水をたたえる三ノ池は人気のスポットです。御嶽信仰では、この水は「御神水」。御山からの授かりものとして容器に汲んで帰る方もいます。
立ち寄りスポット @ 開田口周辺
開田高原 木曽馬の里
開田高原にある、日本在来馬種の「木曽馬」にまつわる施設。安閑天皇時代(530年代)から記録が残り、「生きた文化財」とも呼ばれる木曽馬は、胴長短足で、人間に忠実な点が特徴。木曽馬に乗る体験もできます。
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夏は、御嶽山中腹~山頂付近に点在する山小屋の営業シーズン。黒沢口や開田口から登るなら、こうした山小屋に泊まってみるのも面白いもの。頭上に降る満天の星、下界と山頂を分かつ雲海、空を茜色に染めるご来光……夜から朝にかけ、印象的な美景に出合える確率がアップ! 標高3,000m超の御嶽山は空気中の酸素濃度が低いため、山の高度に体を順応させる点でもおすすめ。
御嶽山の山小屋は、開運名物「ちからもち」が自慢の「行場山荘」や、薪ストーブで焼くケーキやピザが人気の「五の池小屋」など、特徴もいろいろ。時間を見つけ、ゆったり泊まってみては?
※2020年は「三密」を避けるため、完全予約制とする山小屋もあり。ご利用日の前に必ず空室状況をご確認ください。
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登頂はできずとも御嶽山の空気を感じたい人には「御嶽古道」のトレッキングがおすすめ。修験者たちが歩いたこの道には「御嶽神社(里宮)」「十二大権現」といった、往時をしのばせる神社が点在。「八海山神社」は眼病平癒のご利益があるとされ、今も「御神水」を求める人々が後を絶たない。
参拝の証しに「御朱印」を授ける社もあるので(朱印料を奉納。御朱印は書き置きの場合あり)、修験者たちに思いを馳せつつ“御嶽巡礼”を模してみるのも、有意義な楽しみ方だろう。
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御嶽山は、活火山です。最も低い噴火警戒レベルの「活火山であることに留意」である2020年6月15日現在から、状況は、いつ、どのように変動するか分かりません。
このページに掲載の登山道のルートは、規制によって通行不可となることもあります。その箇所によっては、山頂まで登ることができない場合もあります。
登山前には、必ず御嶽山の火山活動・規制情報・安全対策情報が載ったホームページなどをご確認ください。
登山計画はゆとりを持って立て、頭部を保護できるヘルメットの持参など、十分な装備で出かけましょう。登る前には「登山計画書」の提出もお忘れなく。登山計画書については、木曽御嶽山安全対策情報ホームページをご覧ください。
※2020年の御嶽山観光は、新型コロナウイルス感染症拡大防止の関係で流動的な部分あり。今後、各方面から発表される情報に注意
多くの魅力を備える御嶽山ですが、活火山である一面を忘れるわけにはいきません。
2014年9月、多くの登山客が御嶽山噴火災害の犠牲となりました。御嶽山火山マイスターのメンバーとしては、この災害の記憶を風化させることなく、自治体や県と連携し合って安全な御嶽山観光の構築を目指していきます。
御嶽山で皆さまと出会えることを楽しみにしています。繰り返しになりますが、登山の際は、くれぐれも安全にお気をつけください!
※ここまでの掲載スポットについての
お問い合わせ:0264-23-1122(木曽観光連盟)
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