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中央構造線を感じられる“不思議”や“美景”に出会う旅

中央構造線を感じられる“不思議”や“美景”に出会う旅

大鹿村中央構造線博物館展示室

関東から九州までに及ぶ日本最大の断層「中央構造線」をご存じですか? 日本列島が形成されるよりもさらに昔の約1億年前にできたという、地層の境界です。恐竜が闊歩(かっぽ)していたころには誕生していたこの中央構造線は、周辺の地質や自然景観などへ、ダイナミックな影響を及ぼしてきたのだそう。長野県の大鹿村には、この「中央構造線」のことがよく分かるスポットが複数あります。“大地の歴史年表”ともいえる中央構造線の魅力に触れるため、南信州へ出かけてみませんか?

まずは中央構造線について知ろう!

[中央構造線 案内人]河本 和朗さん

[中央構造線 案内人]
河本 和朗(かわもと・かずろう)さん

「大鹿村中央構造線博物館」学芸員。東京都出身。1984年より大鹿村在住。ある時「地球は岩石でできている」ということを強く感じ、地質を学ぶことを決意。1990年ごろから地質講座に通い、大鹿村中央構造線博物館の標本集めや準備作業に従事。1993年の開館時から常駐職員を務める。大鹿村中央構造線博物館が国の博物館法にもとづく登録博物館となる前年の2002年、学芸員資格取得。

河本さんからのコメント

「地球の営みは、いろいろな時間と空間のスケールの現象が重なり合っています。ゆっくりすぎて、あるいはスケールが大きすぎてなかなか感じにくいのですが、向き合い、じっくり眺めると、石たちが大きなスケールの出来事を語りかけてくることに気づくと思いますよ」

中央構造線とは?

中央構造体とは

関東地方から九州地方まで1,000kmにも及ぶ日本最大級の断層「中央構造線」。断層とは、地面の下で地層が切れてずれ動いた、くい違い面のことです。そして構造線は、「断層」のうち、たくさんずれ動いた結果、両側に違う岩が並んだ、異なる地質の境界線になった断層をいいます。
中央構造線は、日本列島がまだアジア大陸の一部だった中生代白亜紀後期(約1億年前)にこの大陸の中で生じた、長大な断層です。人工衛星から撮った画像でも中央構造線に沿う深い谷のまっすぐなさまが写り込むほどの長さを持っています。

中央構造線をはじめに発見したのは、化石で有名な「ナウマン象」の名の由来となったドイツ人地質学者、エドムント・ナウマンです。ナウマンは明治期に日本の地質調査をしていた折、日本列島を縦断する大断層を発見。「大中央裂線」と名付けました。さらに、この大断層を境にした日本海側を「内帯」(ないたい)、太平洋側を「外帯」(がいたい)と呼び、区別しました。

中央構造線の特徴

内帯と外帯、まったく異なる地質の岩石が接する点が、中央構造線の大きな特徴です。内帯は中生代白亜紀後期に火山帯となったため、白亜紀後期の花崗岩(かこうがん)や流紋岩(りゅうもんがん)などの火成岩(マグマが冷えて固まった岩石)が見られます。外帯は火山帯にならなかったため、日本列島の土台の岩石がそのまま見られます。
白亜紀の岩石の境界線である中央構造線を直に見られる場所は珍しいのですが、大鹿村には国の天然記念物に指定されている「露頭」(地層や岩石が土壌や植生などに覆われず直接露出する場所)が2つあります。野外の露頭は風化していますが、両側の岩石の違いが分かります。大鹿村中央構造線博物館内の剥ぎ取り標本と合わせてご覧ください。

中央構造線の特徴 北川露頭

大鹿村中央構造線博物館

大鹿村中央構造線博物館 大鹿村中央構造線博物館外観 岩石園

中央構造線のほぼ真上に建つ、日本でも唯一の、中央構造線をテーマとしたミュージアム。「中央構造線と大鹿村の岩石」はじめ、3つの展示室で構成。館内展示室では内帯と外帯の岩石を分けて展示。その違いをじっくり見比べることができる。後に紹介する「北川露頭」の剥ぎ取り標本は必見。
博物館の前庭にある「岩石園」は、大鹿村内から集めた175点の大型岩石標本を、できるだけ実際の地質配列にあわせて配置したフィールド展示コーナー。中央構造線のラインを真ん中に、内帯と外帯の岩石の色や質感、模様などの違いを見比べてみよう。

【住所】長野県下伊那郡大鹿村大河原988
【電話】0265-39-2205
【開館時間】9:30~16:30
【入館料】大人500円、中学・高校生200円、小学生以下無料
【休館日】月曜・火曜(4月~11月の祝日が月曜・火曜の場合は開館)、年末年始(12/28~1/3)※学芸員の解説を希望する場合は、電話や公式サイトの問い合わせフォームで要予約(2020年8月現在、新型コロナウイルス感染対策のため、解説は休止中) ※休館日でも岩石園は見学可
【アクセス】JR飯田線 伊那大島駅からタクシーで約35分
【URL】https://mtl-muse.com/

大鹿村中央構造線博物館の見学後は…

大鹿村内へ、
中央構造線を感じに行こう!

大鹿村には、大地の“不思議”や“迫力”を
感じられるスポットが点在!

中央構造線をつぶさに見られる露頭、断層の破砕帯を川が侵食してできた深い谷、起源不明の謎の塩泉……大鹿村中央構造線博物館で予習をしてから出かければ、現地での理解度もきっとアップ! 地質学に詳しくなくても、楽しいひとときを過ごせるはずです。

【ご注意】

河原などへ出かけるときは、スニーカーや長靴といった、滑りにくい靴の着用をおすすめします。自然のままの、整備されていない場所もあるため、足場の悪い箇所が見受けられます。安全は自己責任となることをご了承の上、記事をお読みください。

中央構造線を感じに行こう!

北川露頭

北川露頭

1.露頭

博物館の見学後、向かうは「北川露頭」。国指定の天然記念物で、中央構造線博物館から約13km、鹿塩川の北東岸にあります。解説看板脇にある階段の下から露頭を見上げると、垂直方向に両側の岩の色が違っている様子がよく分かります。
中央構造線を挟んで左側となる赤~褐色の層は内帯の岩石(領家変成帯)。主に花崗岩(かこうがん)から成ります。右側の緑~黒色の層は、外帯の岩石(三波川変成帯)。緑色片岩や泥質片岩が主体です。「領家」は天竜川の支流・水窪川沿いの地名、「三波川」は群馬県藤岡市三波川の地名にちなみます。「変成帯」とは、変成岩(熱や圧力などを受け、固体のまま鉱物の組み合わせや組織が変化した岩石)が帯状に分布する地域のことです。
断層露頭としては全国でもトップクラスのものだけに、写真を撮って帰り、誰かに説明してあげると、旅の良いみやげ話になりそうです。 ただし、現地周辺は国の天然記念物に指定。岩石の採取・持ち帰りはできません。

※ 大鹿村内の露頭で、北川露頭と同じく岩石の違いが分かるものに「安康露頭」がありますが、2020年8月現在、大雨による増水で見学不可となっています。

コラム

北川露頭を詳しく知るなら、
もう一度「博物館」へ!

地表にさらされる露頭は、風化しやすいもの。現在の北川露頭では、崩れ落ちた岩屑に覆われて地質の境界線は見えません。その北川露頭の風化が進む前に表面をきれいにし、人力で丁寧に掘り取ったのが、大鹿村中央構造線博物館にある「北川露頭 剥ぎ取り標本」です。内帯と外帯の岩石の境界がくっきりと分かる剥ぎ取り標本は、中央構造線が1億年もの年月の中で動いた歴史を伝えてくれる“メッセンジャー”。実物の前後に、じっくり見たい展示品です。

北川露頭 剥ぎ取り標本(奥の壁側の展示品)

北川露頭 剥ぎ取り標本(奥の壁側の展示品)
(大鹿村中央構造線博物館所蔵)

分杭峠 [ 資料提供:(一社)伊那市観光協会 ]

分杭峠
[資料提供:(一社)伊那市観光協会]

2.美景

北川露頭から3kmほどのところにある「分杭峠」(ぶんくいとうげ)は、中央構造線の上に位置する峠として知られています。標高1,424m。国道152号、かつての秋葉街道の、大鹿村と伊那市の境にあります。
分杭峠からは、ずれ動いた中央構造線の古傷(断層部分)が川によって侵食され、谷になった地形を眺めることができます。特に、伊那市側の谷が良く見えます。南北に延びる谷は深く、また大きすぎて、上空からでないと全体がよく分からないのだとか(残念ながら、上空から見下ろせるスポットはないとのこと)。
東西に交わる尾根の地質は、それぞれ内帯と外帯に分かれます。北川露頭で学んだ岩石の色を思い返しながら秋の美景に酔いしれるのも楽しいものです。

現地までの公共交通機関の一つ・長谷循環バスの運行は、当面、分杭峠行きシャトルバス発着場の最寄りである「粟沢駐車場バス停」の1つ手前、「上村バス停」までとなります(上村バス停からシャトルバス発着場までは徒歩約30分)。
また、安全のため、シャトルバスは予告なく運行中止となる場合があります。(一社)伊那市観光協会のFacebookで最新情報をご確認ください。
※長谷循環バス:粟沢駐車場バス停まで運行可となった場合、該当便(1日2便)は5⽉上旬から10⽉下旬まで運⾏予定(上村バス停経由の便は通年運行)
※ シャトルバス:4⽉上旬から11⽉下旬まで運行予定(分杭峠への入場もこの期間のみ可)

コラム

石が違えば、湧く水のタイプも違う!?

水の風景も複数ある大鹿村。水辺へ出かけたときは、河原の石にも注目してみてください。中央構造線を境に内帯となる小渋川の下流には白っぽい花崗岩が多いのですが、外帯となる大鹿村の塩川流域の石には、緑色岩が多く見られます。
大地を構成する岩が違うと、湧き出る水のタイプも異なってきます。花崗岩の多い内帯の伊那山地や中央アルプスに湧くのは「軟水」。対して南アルプスの大部分、石灰岩や緑色岩が多い外帯に湧くのは「硬水」となります。
同じ村内の川でも、流れる水のタイプが異なるのは面白いものですね。
※ 川の水は、そのままでは飲用に適さないケースがほとんどです。飲むのはお控えくださるよう、お願いいたします。

秋葉古道

秋葉古道

3.往来

分杭峠から見える、中央構造線の断層部分の侵食谷。ここは「秋葉街道」と呼ばれる、交通の要衝でした。「秋葉」の呼称は、江戸期、火伏せ(防火)の神として信仰を集めた「秋葉神社」(現在の静岡県浜松市)へ詣でる人々によく利用されていたことにちなみます。
一本道の形状で、大きな川もなかった秋葉街道は“諏訪から太平洋への最短経路”といわれ、太古から利用されていました。ここを通って遠州(静岡県)の海産物が山国の信州へと運ばれたことから、しばしば「塩の道」とも呼ばれました。伊那谷を支配下に置いた武田信玄が遠州攻略の軍用路としたことでも有名です。
今でも分杭峠には「従是北高遠領」(これより北、高遠領)と刻まれた石柱(後世に建て替えられたもの)がたたずみ、天領(徳川幕府の直轄領)であった今の大鹿村の地域を後にして北を目指す人々の旅の目安になっていたことをしのべます。

コラム

大鹿村も“塩”にゆかりあり!?

「塩の道」の異名を持つ秋葉街道ですが、大鹿村にも「塩」と関連するスポットがあります。標高約750mの山奥に湧く「鹿塩温泉」です。海水と同等の塩分濃度を持ちながら、マグネシウムイオンをほとんど含まない不思議な温泉で、ベタついた肌触りもほぼなし。
現在の西南日本の下にはフィリピン海プレート(プレート:地表を覆う厚さ数十kmの硬い岩盤)が沈み込んでいますが、その海洋地殻の鉱物に結合した水が、西南日本の下・数十kmの深さで放出された水であることが明らかになっています。温泉水は、いろいろな成分を溶かし込んだり、一部の成分が取り除かれたりしながら地表まで上がってきますが、鹿塩温泉ではちょうど食塩(塩化ナトリウム)の成分になっています。地下深くから上がってくるときに中央構造線の破砕帯(はさいたい:岩盤が割り砕かれ、多数の隙間ができた地層)を通っていると考えられています。

湯元 山塩館

湯元 山塩館

大鹿村中央構造線博物館の
訪問前後に!
「大鹿村 立ち寄りスポット」

大鹿村には、美しい景色を繰り広げる公園や、深い山里ならではの文化、そして世にも珍しい「山塩」など、見たい・知りたい・味わいたいものがいっぱい! 温泉に浸かってのんびりするのもよいですね。

夕立神パノラマ公園

夕立神パノラマ公園

鳥倉山(とりくらやま)の中腹に広がる、雄大な眺めの展望台を持つ公園。例年10月中旬~11月中旬には南アルプスや中央アルプスの山々が赤や黄色に紅葉します。展望台の入り口では、緑色岩の露頭にも注目を。この一帯の岩石は、2億年ほど前に南方の海底火山から噴出したものの一部で、太平洋のプレートに乗って北上、ジュラ紀末から白亜紀初め(約1億5000万年前)にアジア大陸に衝突。その縁に付け加わったといわれています。

旧小渋橋越しの赤石岳

旧小渋橋越しの赤石岳

小渋断層が侵食されてできた谷が直線状に走る地形により、遠くの赤石岳(標高3,121m)をも見渡せる、大鹿村有数のビュースポットです。小渋川に架かる旧小渋橋は1957年竣工、鉄筋コンクリート造り・ローゼ桁の3連アーチ橋。太いアーチ部材と桁(路面走行部)がほぼ同じ厚さである点が特徴で、国の有形文化財に登録されています。

ろくべん館

ろくべん館

大鹿村中央構造線博物館に隣接する郷土資料館(博物館のチケットで入館可)。名称の「ろくべん」は、村に古くから伝わる、重箱を5〜6段積み重ねた1人用の弁当「どくべん」がなまったもの。大鹿村は現在に至るまで歌舞伎が盛んな地で、かつては上演時にこのろくべんを持参し、観劇を楽しんだそう。そのろくべん以外にも、大鹿村での民俗や産業、歴史が分かる展示品が充実しています。

山塩製塩所

山塩製塩所

規制が緩和されて再び民間でも塩づくりができるようになった1997年、鹿塩温泉の宿「湯元 山塩館」が認可を得て始めた製塩所。山深い地に湧く塩泉を昔ながらの製法で1日半も煮詰め、結晶化させることでできる「山塩」は、海水から採れる塩とは違ってにがり成分(マグネシウム)が少ないため、どこかしら甘みも感じられる、まろやかな味わい。通常の塩の結晶がサイコロ状(正六面体)なのに対し、山塩の結晶はピラミッド状。さらりと溶ける初めての口当たりに感動する人が多数とか!
※ 山塩は、「山塩館」や「塩の里直売所」で販売(製塩所では販売なし)。希少な塩のため、販売数に制限があります(1名につき1袋)。

塩の里直売所

塩の里直売所

その名のとおり、塩関連の商品が人気の直売所。山塩製塩所の「山塩」もここで買えます。「大鹿村銘菓といえば、これ!」の声も聞かれる「塩もなか」は、約40年の歴史を持つロングセラー。ほんのりしょっぱいもなかは、お酒と一緒に味わうのもオツだとか。最近では、月曜・水曜・金曜に焼かれる「山塩ぱん」も売れ筋。晩秋に訪れるなら、太陽の光と風とでゆっくり乾燥させる「はざかけ米」(品種:あきたこまち、コシヒカリ)の新米もおすすめです。

ジビエ料理

ジビエ料理

人の数よりも鹿の数の方が多いといわれる大鹿村。村では、鹿やイノシシなどによる農産物被害の対策として、ジビエ(狩猟で捕った食用の野生鳥獣肉)料理を「大鹿ならではの味」として確立中です。村内に獣肉の加工工場があり、新鮮で衛生的なジビエ料理の提供体制もばっちり。地元でよく食べられる「しし鍋」からフランス料理の「鹿肉のロティ(ロースト)」まで、バラエティーに富んだメニューがいっぱい! 画像の料理は「鹿肉のソテー」です。

この秋訪れたい!
大鹿村周辺エリアの
おすすめスポット

大鹿村の近隣エリアにも、興味深いスポットがたくさんあります。眺めて・学んで・お腹も満足する“秋向きスポット”、集めてみました。

 下栗の里(飯田市)

下栗の里(飯田市)

標高約800~1,100m、最大傾斜38°。「太陽が足元から昇る」と称されるほどの急峻な山間部に位置する「下栗の里」は、今も人々の暮らしが営まれる、静かな集落です。南アルプスの雄大さで「日本のチロル」と呼ばれ、「にほんの里100選」(朝日新聞社主催)にも選ばれた情景は、住民手づくりの展望所「天空の里ビューポイント」から見下ろすことができます。
傾斜地で作られる「下栗二度芋」は、小粒で保存の利く、在来種のバレイショ。ほとんど市場に出回らないので、現地を訪れたら、「二度芋の味噌田楽」(長野県選択無形民俗文化財)などで、ほくほくとした強い甘みを楽しんでみては。

飯田市美術博物館(飯田市)

飯田市美術博物館
(飯田市)

美術・文化・自然の展示室やプラネタリウムから成る文化施設。文化展示室のテーマは、「文化の回廊としての伊那谷」、自然展示室のテーマは「伊那谷の自然とその生い立ち」。全長約 17mの完全な骨格が人類史上初めて明らかになったスピノサウルスの全身骨格復元模型を日本で唯一常設展示するなど、自然系のコレクションが充実しています。明治期に活躍した飯田市出身の日本画家・菱田春草(ひしだしゅんそう)の作品や資料を多数収蔵する菱田春草記念室も見逃せません。敷地内には、柳田國男(国有形登録文化財)や日夏耿之介(ひなつこうのすけ)記念館も併設しています。

くだもの狩り(松川町)

くだもの狩り(松川町)

河岸段丘(河川で隆起と侵食が繰り返されたことでつくられる階段状の地形)と中央アルプスの扇状地からなる複雑な地形を持つ松川町。水はけの良い土地と寒暖差ある気候は果樹をよく育て、全国レベルの“くだもののまち”となっています。特筆すべきは、寒冷地果樹の南限と温暖地果樹の北限が重なる立地条件から、リンゴ狩りとナシ狩りを同時期に楽しめること。もぎたてのリンゴとナシを交互に頬張る、レアな体験はいかが?(目安:11月中旬まで)

松岡城跡(高森町)

松岡城跡(高森町)

数ある河岸段丘の中でも、天竜川中域の伊那地方の河岸段丘は起伏に富み、全国有数の規模といわれています。その河岸段丘の先端に造られた「松岡城」は、中世の伊那谷を代表した“段丘の城”。急峻な傾斜地は“自然の城塞”となり、その後に掘られた多くの空堀や土塁も、防備を堅固なものにしました。現在は、城の跡地が憩いの地に。本曲輪の先からは、南アルプスや天竜川、河岸段丘が広がる光景を望めます。

※ここまでの掲載スポットについてのお問い合わせ:
0265-53-0431(長野県南信州地域振興局 商工観光課)