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中山道大井宿を往く
中山道大井宿を往く

江戸時代の美濃中山道で賑わった宿場町・大井宿。大商家だったひし屋や大井宿本陣跡が残る町並み、枡形や高札場跡が往時を偲ばせます。絵師・歌川広重が、木曽街道六拾九次之内に描いたという甚平坂からの眺めや、その絵を所蔵する中山道広重美術館ともに大井宿の歴史を訪ねます。


大井宿本陣跡正門 江戸時代に整備された五街道のうち、東海道に次いで数多くの人や商品が行き交った中山道。太平洋側を通り、橋も架からぬ大きな川を渡らなければならない東海道に対し、山道ながら川越えの少ない中山道は女性にもよく利用されたといいます。また、道中2〜3里(1里は約3.3キロ)おきにひとつ設けられた宿場の数は、五街道中最多の69カ所。なかでも名古屋に通じる下街道や城下町・岩村へ向かう岩村街道と交わる交通の要所であった大井宿は、美濃路有数の賑わいを誇った一大繁華街でした。旅人が宿泊する旅籠や木賃宿が立ち並び、その数は41軒にものぼったそうです。


広重美術館恵那駅から延びる大通りを歩いていると、行き当たるモダンな外観の中山道広重美術館。ここでは「広重」と「木曽街道(中山道)」をテーマに、歌川広重や溪斎英泉などの作品を展示しています。大井宿はもちろん妻籠や馬籠、中津川といった近隣宿場町の浮世絵もあり、今と比べて変化したところやそのまま残るものを探してみるのも面白いかもしれません。浮世絵の歴史が学べる浮世絵ナビルームでは、模擬版木による重ね摺りが体験できます。


上:「木曽街道六拾九次之内大井」、下:現在も残る枡形名物栗きんとんを並べる和菓子店や中山道広重美術館が並ぶ大通りを一本東へ入ると、昔ながらの商店や旅館が佇む静かな町並みが現れます。町中を流れる阿木川には大井橋がかかり、欄干を飾るのは陶器でできた広重による「木曽街道六拾九次之内」の浮世絵。一大宿場町の入り口です。橋を渡ると周りは急に江戸時代の趣を残すものに。江戸時代から400年近く続く旅籠屋だった旅館いち川や、木曽路特有の出格子二階建ての建物がいくつか残ります。一帯にはかつて大小41軒もの宿場が軒を連ね、その長さは700メートル余にも及んだとか。そんな町を散策していると、何度も道を曲がらなければならないことに気付くでしょう。それは、当時いかに大井宿が賑わっていたかを知る手がかりでもあるのです。道を直角に屈曲させているのは、敵の侵入を防ぐための枡形。人の往来が多い宿場町幕府の要塞としてもとらえられ、枡形が設けられました。大井宿には枡形が6カ所もあり、幕府からいかに重要視された町であったかがうかがえます。


ひし屋資料館内部 さらに歩を進めると、黒塀や飴色に染まる格子が年代を感じさせる建物が並びはじめます。なかでも目立つのは、中山道ひし屋資料館。近世の町屋建築のたたずまいを色濃く残す古山家住宅を、改修・復元して公開しています。 ひし屋の斜め向いに建つのは大井宿本陣跡。現在も表門と裏の庭園が残り、大名が宿泊したという豪壮な建築の面影が感じられます。瓦で葺かれた正門は江戸初期の見事な造り。門の脇で立派な枝ぶりを誇る黒松は二代目です。初代のものは樹齢約250年とされ、将軍家へ降嫁する際、中山道を通った皇女和宮が植えたものだとか。観光客が記念撮影をするほどの人気を博しながら枯死した先代の松を惜しみ、本陣当主が2代目探しへ乗り出したそうです。奔走の甲斐あり、よく似た黒松を同じ中山道の高崎宿で発見。松は高崎宿から大井宿に嫁入りし、今では2代目として立派に復活しています。

碁平坂公園 本陣を左手に進むと坂道に差し掛かります。ここが江戸時代を代表する浮世絵師・歌川広重も歩いた甚平坂。高札場後跡を過ぎて坂を上りきったところには公園があり、恵那山に抱かれた大井宿の町並みを一望することができます。江戸時代の人々が行き交ったであろう大井宿を眺め、宿場町散策を締めくくります。

散策Map
取材協力
恵那市経済部商工観光課観光交流室
中山道広重美術館

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